「物理の小道」 ギャラリー

路上観察編  〜なんで?どうして? 不思議な物体!〜


第2回  橋の名前は、「一の橋」、「二の橋」....なんと、安易な名づけ方!

名づけ方には昔から面白いお話が...

 昔から、名づけについては面白いお話があります。特に、子供の名前に関するものが多い。 安易な例として、長男は「太郎」、次男は「次郎」、三男は「三郎」などは定番の男子の名前です。 子供の将来を願い良い名前を付けたいのは親心ですが、これが行過ぎると迷惑な話になります。 落語で出てくる「寿限無(じゅげむ)」の話がその典型です(もちろん作り話ですが)。 縁起の良い名前を付けてもらおうとお寺の住職に頼んだまでは良かったのですが、 たくさんの縁起の良い名前の一覧表を貰ってしまった長屋の夫婦。 「えぃ!邪魔くさい」と思って、一覧表の全部の長い名前を子供に付けてしまった。 ありがたい名前ばかりですが、「寿限無」から始まり、最後が「長助」で終わる「ながーぃ」名前で苦労するという面白い話です。 全て知っている人は掲示板「なんでもあり」に投稿してください。当然、漢字で書かれたものでね。


小さな橋にも名前は必要!?

 今回は、小さな橋に付けられた名前のお話です。 ところは、阪急武庫之荘駅北側。 駅前にはロータリーがあり、そこから伸びた駅前道路が北に伸び、 その道路と並行して流れる名も無い小さな川があるのです。 駅前ロータリーから伸びた道路の交差点毎にこの川を渡る橋が必要となります。 その小さな橋がたくさん架かっています。 その橋に付けられた名前がいかにも「安易な名前」なのです。 20年程前から筆者が住んでいる武庫之荘ですが、それに気付いたのは最近です。

 橋は、駅前道路に沿って数メートルから数十メートル毎に橋が並んでいます。 「三の橋」、「四の橋」、...などと名前が付けられた橋が並んでいるのです。 多分、一から順にあるのでしょう。たくさんあるが故に考えるのが邪魔くさかったのでしょう。 名づけた人がこう言うかもしれません。「そのほうが便利だから」


きっかけは「七の橋」パーキング(駐車場)

 橋の名前は、駅から近い順に、「一の橋」、「二の橋」、「三の橋」...と並んでいます。 最初に気付いたきっかけは、「駅前交番」の西にある駐車場の看板です。 その看板に「七の橋」パーキングと書かれているのです。 変な名前だなと思っていましたが、そのときはそれだけで終わりました。 ある日、駅前交番前の小さな目立たない橋の欄干に「六の橋」と書かれているのを見つけたのです。 「六の橋」があるのなら「七の橋」があるはず。 探すまでも無くその北側数メートルのところに「七の橋」がありました。 この2つの橋は、駅前道路からどちらの橋を渡っても同じ場所に出てしまうほど接近した橋です。 交番の敷地が三角形になっており、二つの橋は交番の建物の幅だけしか離れていないのです。 駅から順に橋に番号の名前をつけているようです。  他の「番号の橋」も、そのつもりになって探せば、簡単に見つかります。 駅に向かって南にたどってゆけば芦田外科医院の前に「五の橋」がありました。 「六の橋」から南に20メートルほど行った所です。 更に十メートル南に行くと「四の橋」がありました。 饅頭屋の「千鳥饅頭」のすぐそばです。もう間もなく駅前です。 「三の橋」は駅前ロータリーの一角にある喫茶店「ロビン」の前にありますが、 駅前恒例の放置自転車の間に埋もれていました。 ここから駅までは暗渠になっており川はどこにも見えません。


「一の橋」、「二の橋」が見つからない

 ここまでの橋は川があるのですぐに見つけられました。 しかし、「一の橋」、「二の橋」は容易に見つけられる橋ではありませんでした。 駅前は川が完全に暗渠化されているためロータリー周辺は道路面しか見えなくなっています。 筆者が武庫之荘に始めて来た頃、駅前ロータリー西側には川(溝)がありました。 その当時は、その川端に自転車預り店や、筆者愛用の「轟」という喫茶店がありました。 しかし、現在ではその店は無くなり、現在は三井住友銀行、ミスタードーナッツ、デイリーヤマザキ(コンビ)に変わっています。 阪神淡路大震災までは、ほぼ昔の面影を残していたのですが、震災により古い家が倒壊して駅前も一新したからです。 どこかに橋の痕跡があるはずと駅周辺を探しました。 道路面に残されていた橋の欄干がありました。駅の西側の食堂や自転車置場と三井住友銀行の間です。 それも、「一の橋、二の橋」は欄干が道路の橋に一体化して並んでいたのです。 写真を見れば分かりますが、南側の「一の橋」の欄干と北側の「二の橋」の欄干が合体していました。 この一体化した欄干を見つけて達成感を感じる一時ですが、 まもなく、「七の橋」より番号の大きい橋はどこまであるのだろうとの疑問が湧いてきたのだった。


「八の橋」以降はあるのだろうか?

 駅から順に番号が付けられているのだから、 「六の橋」、 「七の橋」がある駅前交番前を、 駅と反対に北へ曲がって川を遡って探せばよいことになります。 交番から川沿いを10メートルほど進めば、大阪ガスのサービスショップがあります。 「八の橋」はそのガスショップを通り過ぎた次の交差点に架かる橋でした。 橋の間隔が少し長めになってきました。 このあたりから商店街から住宅街へと趣が変わってきます。 「九の橋」、「十の橋」と 大きな住宅(武庫之荘の)の間の道路に架かる橋です。 川端には柳とつつじが植えられて落ち着いた雰囲気の道が続きます。 駅から150メートル程度で駅前道路は終わり、拡幅10メートル程の広い道路と交わります。 この幹線道路が通る大きな橋が「十一橋」です。 「十一橋」からは「の」が無くなり、「十一橋」になります。


住宅街にどこまでも続く?「十二橋」、「十三橋」...

 

 この幹線道路を渡って更に北へと川が続いています。 この道はコミュニティ道路と名前が付けられ、 写真にあるように街路樹や照明灯、消火栓案内板などが融合して心和む雰囲気をつくっています。 道沿いに空き地があり、その脇に「十二橋」がありました。 「十三橋」、「十四橋」、 「十五橋」、「十六橋」と続き、 延々と北に続いています。ロマンチックな雰囲気が続く道路です。 住宅街に入って橋が並ぶの間隔がますます長くなっています。 このあたりは住宅街なので、橋の周りに特徴が感じられなくなり、どこまでも同じ雰囲気の道が続きます。 かれこれ二〜三百メートルほど進んで「十七橋」まで見つかりました。 この「十七橋」を越えたところで川が90度向きを変えて西に直角に曲がります。 それ以降、川には橋がいくつかあるのですが、どの橋にも名前がついていません。 その近辺を探してみましたが、橋には全て名前は付けられていないようです。 結論が出たようです。 駅前の橋は「一の橋」から「十七橋」までだったのです。


甲子園9番町

野球は甲子園、甲子園は9番町ですね!

 番号で呼ばれるものは昔からたくさんあります。 武庫之荘の橋のように17まであるものは珍しいかもしれません。 しかし、このような例は神戸にもあるのです。 現在の神戸の町の中心「三宮」が有名ですが、三宮神社(大丸百貨店付近)からきた名前でしょう。 二宮神社(駿台予備校の北方)もあるので一宮、四宮、....もありそうです(自信はありませんが...)。 神戸の場合はどこまで続くのか調べてみませんか? 生まれも育ちも神戸の人で、この件について詳しい方は教えてください(メールでも直接でも)。
 他にも古くからある番号付きの地名などを見つけたら報告してください。 この例では、西宮の甲子園近くには、甲子園1番町、2番町、....などがあります。 甲子園の場合は「野球」ですから、「9番町」が終わりです(納得!)。 なお、単なる1丁目、2丁目(番地)などは省きます(当然)。


2004/6/15 管理人(志)


感想・意見、投稿(文章、写真とも)は メールでどうぞ

   → サイトトップへ  へ


このホームページは、2003/11/07 に始まりました。