「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第104回  飾り物シリーズ 伊藤園のお茶のおまけ

「くつろぎクマさんA」 + 「籠の鳥」と「野の鳥」

 前回(第103回)は、横になり 「くつろいでいるクマさん」 でしたが、今回は座っています(少しまじめです)。 クマさんシリーズはまだまだ蒐集できそうです。お楽しみにいてください。管理人(志)も気に入ったキャラクタです。

「籠の鳥」 と 「野の鳥」 のどちらが幸福?

 「毎日ご主人様が、相手にしてくれ、食事、掃除など全て飼い主であるご主人様がしてくれます。病気になってもお医者様に連れて行ってくれますので 天国のような生活はありませね。」 と籠の中の鳥は得意になって自分の事を籠の外の鳥に話しています。 籠の外の鳥は、「うんうん」 とうなずいて、窓の外へと飛んでゆきました。 鳥は空を飛びながらつぶやきました。「外の世界を彼は知らないんだね。こんなにきれいなのにね。」

 これを読んでいる貴方は、どちらの鳥なのでしょうか? よく自分を見つめ直して考えてみてはいかがでしょうか。 どちらの鳥も幸福なのでしょうか。 籠の中の鳥は、生活が保証され、人生(鳥生)を平穏無事に過ごすには最適の生活環境です。 籠の中という空間に満足できればこれほど良い環境はないでしょう。なにより安全ですし、努力しなくても楽に生活できるのだから。 現在の日本では、「籠の中の鳥」 にあこがれる人がいても不思議でない昨今です。 ぼーっとしているだけで満足などという活気のない人生は昔の若者の中にはいませんでした。 社会が豊かになると、普通の生活をするための努力はほとんどいらないのも事実でしょう。

 自分の人生に 「挑戦」 しようという気概が将来を作ると思っている筆者(志)にとっては悲しいことです。 籠の中の鳥は生活が保証されていますが、籠の外を自由に飛び回り、どこにでも行ける自由があります。 自分の努力で相当なことが出来ます。 しかし、餌は自分で確保しなければいけないし、危険な目にもあうことがあります。 自分のことは自分で責任を負うという 「自己責任」 の世界ですが、自分がしたいことを自由に選んでできるのです。

貴方は、籠の中の鳥? それとも、籠の外の鳥?

 勉強スタイルで考えて見ましょう。勉強する計画や内容は学校、塾、予備校から与えられたものになっていませんか? 籠の中の鳥のように餌をご主人様から与えられ、それを食べているだけかもしれません。 餌は意外に美味しいですから、気が付かないかもしれません。 でも、たまには自分で餌を取りに出かけてはいかがでしょうか? 自分の意思で決めた進路を目指し、自分の力で勉強をしてみてください。 まったく違う世界が見えてきます。 籠の外の鳥が見る世界がどのように楽しいものかに気付くかもしれません。 勉強は反射神経の養成ではないのですから、自分の頭で自分で勉強する。 分からないことがあれば、石にしがみついてでも分かるようになる努力をする。 答えを教えてもらった瞬間に 「感激」 は得られません。 苦しい山登りをしてこそ、頂上に立ったときの 「よろこび」 は大きいのです。 どうせ降りてくるのに、なぜ山に登るのか? 頂上にテレビカメラを上げて、中継すれば、頂上からの風景は下界から分かるのに。 それはそうでしょう。そこが山登りをする人を理解できていない人の考えなんですね。 勉強も同じで、勉強して何になる? ではなく、苦労して得たことそのものに 「感動」 できるのです。 それは、「麻薬」 なのかもしれません。定年退職後(60歳を超えてから)、大学に行こうとする人がいるのです。 そのような人は、利害打算でない、「知への追求」 に尽きるのです。 高い山ほど、急な山ほど、誰も登ったことがない山ほど、山頂にたったときの感激が大きいのです。 けっして、景色がきれいからではないのですからね。

2005/04/14  管理人(志)


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