「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第164回  飾り物シリーズ 伊藤園の麦茶のおまけ

「やすらぎクマさん(麦茶)」  〜 筆者(志)の高校時代 @ 〜

 やすらぎクマさんの彼女でしょうか? かわいいクマさんが、麦茶を飲んでいるキャラクタです。 詳細は不明ですが、ご存知の人は情報をメールでお知らせくださいね。

筆者(志)が高校生のとき...

 筆者(志)の高校時代では、2年生の夏休みから始めるというのが受験勉強の 「定説」 でした。 今の生徒数の2倍近い同世代人口がいた 「大競争時代」 だったから当然です。

 筆者(志)の場合、入学したときから、大学進学を目指していました。 1年生で習った範囲は、受験レベル(当時は今で言う記述2次試験のみ)まで修得するが目標でした。 また、高校の授業の進度に関係なく 「興味が湧けばどんどん先に進むべし」との信念で 「自学自習」 するということでした。

高校3年生は 「ゆとりたっぷりの時期」 だった!

 高校3年生の頃は、読書に明け暮れしていた時期です。国語の受験勉強と称して、 「図書館にある岩波新書」 を完全読破する!、中央公論社の 「日本の歴史」や「世界の歴史」の全巻を読破する! などなど...。

 社会科の受験科目は、 「地理」 でしたから、受験とはまったく関係はない 「歴史」 の読書に没頭していたのですよ。 あらゆる分野の書籍を読みまくりました。理由は、することがなかったからです。 でも、3年生の読書三昧は後々になって非常に役立つことになったのです。

自分の 「目標の高さ」 を早くから認識すべし!

 3年生の頃にそれだけの 「ゆとり」 が出来た理由は何でしょう? それは、早くから受験準備を行ったからです。 2年生の夏ごろから、3年生・浪人生向の 「全国模試」 を受験していました。 その理由は、自分が勉強の目標にどれだけ近付けたかを早く認識するためです。 これが、受験勉強への意欲を育てるのです。合否目標(今で言う偏差値ランキング)とはそういうものです。 2年生後半段階でそれなりの成績「A、B段階」を確保できていたから、「早く入学試験があればよいなあ」 と思っていたほどです。

 筆者の母校には、そういう意識の生徒が多く、それが普通の雰囲気でした。 学校の授業がどうのこうのという問題ではなく、個人的にどんどん進んで勉強する生徒が多かったからです。 補習などを学校が行うこともなく、誰に教えてもらう必要もないとも思っていました(予備校、塾など行く人はほとんどいなかった!)、 参考書と自分の力だけが頼りだったのです。「教えてもらうのでなく、自分で学ぶ」 だったのです。

高校の授業は 「日本人としての教養」、 受験勉強は 「個人の問題」

 当時は、高校の授業と大学受験は別物という考えでした。 「受験勉強など自分でやれば済む」 ことという意識が、先生、生徒ともに強かったのです。 3年生の時は、社会科は 「日本史」、「政治経済」 の両方が必修科目で、それ以外の社会科の授業はありませんでした。 理系の生徒のほとんど全員の受験科目は 「地理」 ですが、地理の授業があるわけでなく、補習もありませんでした。 社会などの受験科目は自分でやれば済むことなのです。 誰かに教えてもらう必要などないのです。そういう発想でした。

大学受験を離れると 「歴史は面白い!」

 では、その頃の授業とはどのようなものだったのでしょうか。 筆者(志)が3年生のとき受けた母校の 「日本史」 の授業は、教科書を初めから終わりまで淡々と教えるような授業でありませんでした。

 1学期は、「卑弥呼の世界」 と名づけても良いような講義の連続で、本当に楽しい授業でした。 中国の文献(漢文)を読み、「邪馬台国はどこにあったのか?」 を探る授業でした。 九州各地、中国地方、近畿など、いろいろな学説を、文献や発掘資料などを基に比較検討するというもので、 グループ発表を含めた本格的な歴史学習でした。1学期間の 「日本史」 の授業はこれだけなのです。

 2学期では、一気に江戸時代に飛び(途中は授業では扱わない)、元禄時代、文化文政時代の庶民経済発展の歴史学習でした。 このような授業ですから、受験に関係なくのめりこむと、むちゃくちゃ面白い 「日本史」 になるのです。 授業中に内職をする気にならないのは、現在の生徒とは状況が異なるからでしょうね。それが余裕なのですね!

 思い出せば、2年生のときの 「世界史」 も同様でした。 1年間のほとんどが 「フランス革命」 だけでした。 フランス革命のはじめから終わりまで、一日一日を詳しく解説する授業でした。 歴史の授業もこのような授業なら 「楽しい授業」 になるのです。年号暗記など味気のない授業ではないのですね。 文部省の教科書などまったく使わない、「歴史とは何だ?」 という授業でした。 教科書を終わろうとする意識はまったくなく、自分で読めばわかるでしょうということです。

「君たちは甘い!」

 「自分で勉強できる」 体質が当時の高校生にはあったようです。 最近の高校生は、当時と比べると 「甘い!」 といえそうです。 「受験勉強」 のための 授業、補習をという発想しか思いつかない、 「受験勉強」 のために 「塾」、「予備校」 に行かなくてはと思っている 現在の 「高校生」。 受験勉強を自分の力で 「自学自習」 することが出来なくなってしまったことに、気付いていないのですから。

2005/08/25  管理人(志)


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