コカコーラのおまけで、ディズニーキャラクタのマグネットです。ドナルドダックが尼崎駅の昔を語ります。
現在のJR尼崎駅は立派な大型駅に変身しています。電車も新快速、快速などすべてが停車するJRの拠点駅になっています。 しかし、筆者(志)が高校、大学に通っていた当時の尼崎駅は、各駅停車の電車、福知山線の列車しかとまらない、さびれた駅でした。
福知山線は単線、未電化路線ですので、運行本数もわずかで、ほとんどは東海道線の電車でした。 各駅停車しか止まりませんから数分から10分毎に電車が走る普通の国鉄の駅でした(複線ですからその2倍)。
駅正面(南側)にはロータリーがあり、バスターミナル、タクシー乗り場などがあるが、 駅前に商業施設(商店街すらない)はほとんどなく、田舎の駅前という風景でした。
一方、駅裏(北側)は、車がすれ違うのも難しい進入用道路が1本あるだけでした。 当然、タクシー乗り場すら設置でくる余裕もない駅裏だったのです。 切符売り場の窓口が1つ、改札口が2つのみ尼崎駅北口でした。当時は切符、定期券ともに駅員が販売し、自動販売機などありません。 改札口を出ても、自転車預かり所、飲み屋、食堂、不動産屋など数軒の店があっただけでした。
駅の北口がこのようになってしまった理由は、駅の北側がキリンビール工場、日立電線、クボタ工場などで占められていたからです。 駅北は線路に接する形にキリンビール工場があったため、駅裏側には乗客の通路としての1本の道路しかなかったのです。 その道路の両側はコンクリート塀で囲まれた工場が続くだけでした。 この 「通路」 を100メートルほど抜けると、やっと 「潮江商店街」 にたどり着けるのでした。 ここからが 「駅前商店街」 というわけです。今考えると不思議な駅裏だったのです。
昔の福知山線は電車が走れない(未電化の単線の路線)ローカル線ですから、 運行する列車は、蒸気機関車、ジーゼル機関車などが引く列車だけです。 30分から1時間に1本程度の列車が走る 「しょぼい」 路線でした。 「土地神話」 が究極まで広がったとき、 「バブル景気」 が訪れました。 都市部の宅地が高騰に次ぐ高騰で、一般庶民が買える値段ではなくなったのです。 そのため住宅地は遠隔地へと広がったのです。
東海道線の東西方向は、都市部が連続しており開発済みの地域です。 南は海ですから、庶民向けの住宅地は、北へ行くしかありません。 交通機関として北へ伸びるのは福知山線しかありません。狙われるのは当然でした。 宝塚駅周辺までは開発済みですから、その奥の 名塩、三田、篠山周辺の山間部となります。 しかし、福知山線の輸送力に限界がありました。 そこで、福知山線の 「複線・電化の計画」 が立ち上がり、運行列車本数を増加、所要時間短縮をさせようとしたのです。
川沿いを通っていた福知山線の旧線路の急カーブを新たにトンネルなどを通してカーブを緩和し、複線・電化を果たし、 「アーバン・ライナー」と称する近畿全域の通勤ネットワークの一部となる 「高速運行できる通勤路線化」が完成したのです。 30分から1時間に1本しか列車が走らないローカル線が、数分に1本の電車が走る都市部の電車区間へと変身したのです。 昔の福知山線を知っている人から見ると、信じられないほどの 「大変身」 がなされたのです。 なお、福知山線の旧線路跡はハイキングコースとなっています。
JR尼崎駅手前の急カーブで起こった 「脱線転覆事故」 もこのような大変身のときに残された 「アキレス腱」 が大きな原因ともいわれています。 線路のカーブの緩和事業、ATSなどの列車の安全対策の整備の遅れなどは古い福知山線を引きずってのことでしょう。
福知山線の複線電化、高速化が進んで、福知山線の沿線の各駅が尼崎駅と同様に再開発事業が行われたのです。 どの駅も見違えるように立派な駅に変わりました。尼崎駅以上に大変身したのは 「JR伊丹駅」 ですが...。
福知山線がこのような変身を果たしたため、尼崎駅は乗換駅の拠点となったのです。 そのため、プラットホームの増設など駅の大幅拡張が行われ、 現在のJR尼崎駅となったのです。 また、駅裏のほとんどを閉めていた工場のキリンビールが、三田に新工場を、拡張・移転したため、 駅裏に巨大な敷地ができたのです。 この土地を中心にして駅裏周辺の再開発事業 「潮江地区」 再開発計画が進み、商業施設、マンションなどの高層ビル群が完成したのです。 それが現在のJR尼崎駅北側周辺です。南側にも大型商業施設 「みどり電化」、高層マンションなどができています。