「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第218回  ペン立て なっちゃんのおまけ

ペン立て  〜 「ダックスフンド」 〜

 ペットブームで人気の犬です。しかも、その中心は 「かわいい小型犬」 ばっかりです。 屋外で飼う大型犬はマンションでは飼えませんから、室内で飼える小型犬になるのは日本の住宅事情のためでしょう。 タックスフンドは昔からある犬の名門の一つを、なっちゃんシリーズで昔からある 「果実(りんご)」 キャラクタを組み合わせて作った「ペン立」てです。 ペン立て部分が小さく不安定で実用的とは言い難い 「ちゃちなペン立て」 でしかありません。

主体的な勉強とは

 文部科学省が「ゆとり教育」を推進していたとき、盛んに言っていた名言が 「自ら学ぶ力を育てる」 であった。 学習時間を多く確保するより、「自ら学ぶ力」 があれば学習成果はどこまでも自然に高まるということだった。

 「自ら学ぶ力」があればという 「仮定」 が成立するならば相当の戦力になるのは間違いないのだが、 「学ぶ力」 も育たなく、授業時間削減で基礎知識も付いていないとなると救いようがないことになる。

かごに飼われたブロイラー状態?

 小学校からずっと塾漬けになって、自分で勉強することを忘れてしまったのも事実でしょう。 ケージに飼われたニワトリにとっては、目の前に餌がベルトコンベアに乗って流れてくる。それを食べるだけで良いのだ。 それに慣れてしまったのだ。ベルトコンベアの上に何が乗っているか? 食べてよいのか駄目なのか? それすら考えることはない。 野に放たれたニワトリは、自分で餌を探す。食べることができるのか? 食べてはいけないのか? それを自分で判断して餌を求めて生きている。

「教科書をまとめてノートを作る」 これができなくなった?

 筆者(志)の頃は、塾に行く人はほとんどなかった。 勉強は自分でするものとの認識が身についていた。 教科書を読み、その内容をまとめてノートに書く。わからないところは参考書で調べ、自分の力で解決する。 これを普通の高校生がやっていたのだ。 先生に質問に行ったこともほとんどないのが普通だった。数学であってもそうだった。 当時の問題集には解答がなかったり、あっても略解(最後の答えだけ)がほとんどだった。 だからこそ、自分の力しか頼りにならなかった。 「学ぶ力を育てる」 にはこのような経過を経てこそ身に付くのだ。

筆者(志)の「自ら学ぶ」 体験を語ろう!

 筆者(志)はコンピュータについての知識は大学で習ったものではない。独学で修得したものだ。 プログラミング入門書で学習するのだ。質問する相手はいない(先生がいない)。 自分で作成したプログラムを動かすことで、正しいかどうかを知るのだ。 そのためには大学の計算センターの大型コンピュータが必要だった。 センターの大型コンピュータでプログラムを実行するには、依頼書を提出する資格が必要になるのだ。 自分で勉強するのは大変だったのだ。

今昔物語: コンピュータ言語を学習する環境は?

 その当時のような時代に比べて、現在はコンピュータの学習者には恵まれた環境だ。 自分で自由に使えるコンピュータがあるからだ(自分の所有するパソコンは自由に使える!)。 今のパソコンなら、どんな言語でも練習できる。しかも、フリーソフトが存在する! その上、それらを手に入れるのにインターネットが使えるのだ。

「自ら学ぶ力」 がすべてを解決した!

 筆者(志)は、ハードウエア(デジタル回路、マイコンボード、IOボードなど)、 ソフトウエア(FORTRAN、BASIC、Pascal、C、C++ などのプログラミング言語)のコンピュータに関する知識はすべて 「独学(自ら学んだ!)」 で学んだ。 大学の授業とか、誰かに教えてもらったものは一つもない。 プロとして通用するレベルまで(おいしい仕事ができるまで)「自ら学ぶ」ことができたのも、中学、高校時代に身に着けた 「自ら学ぶ力」 のおかげだ。

 皆さんも、現在の小さな目先お勉強のことだけに目を奪われないで、勉強を通して本当の力である 「自ら学ぶ力」 を修得して欲しい。

 学校や塾・予備校などで教えてもらうことに慣れてしまって「自ら学ぶ」ことを忘れかけている現在の高校生ですが、 筆者(志)がたどったようなことができるのでしょうか?

2006/05/18  管理人(志)


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