「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第228回 伊藤園のおまけ 「お茶犬メモBox(赤)」

  〜 「挑戦の世代?」 〜

 「お茶犬」はおまけシリーズでも沢山あるキャラクタです。伊藤園の「おーぃお茶!」のおまけについたときから 単なるおまけ以上のキャラクタとなり、関連グッズも沢山発売されるようになりました。 「緑茶犬」から始まり、伊藤園が発売している飲料水それぞれにお茶犬を当てはめ、 「ウーロン茶犬」、「紅茶犬」、「さくら茶犬」などにぎやかになってきました。 実際にどのようなキャラクタなのかは、おまけグッズ編の キャラクタ画像一覧 をご覧になればお分かりいただけると思います。 そのページの画像をクリックすると、キャラクタに関する情報と記事(キャラクタと無関係!)がご覧になれます。

「挑戦の世代(?)」はいつから始まる?

 全ての人間には人生のどこかで勝負をかけます。いわゆる 「挑戦(チャレンジ)」 をするのです。 それぞれの人には 「挑戦(チャレンジ)」 をする時期は異なります。 「お受験」 と称する 「挑戦」 は幼稚園や小学校入学の時期に行われるのです。 これは一般庶民には縁遠い、セレブな階級の人たちの 「挑戦」 でしょう。 一般庶民は 「高校入試」 が最初の 「挑戦」 になるのですが、たいした挑戦ではありません。 勝者がほとんどで、敗者はわずかな 「挑戦」 ですから、人生を大きく左右するほどではありません。

真の 「挑戦の世代(?)」はどこからなのか?

 勝者と敗者を大きく分ける 「挑戦(チャレンジ)」 は、青年時代(十代後半から20代後半)ではないでしょうか。 モラトリアム時代を安穏と過ごしてきた人にとっては「挑戦(チャレンジ)の世代」はつらいものです。 勝者は少数、敗者が大半となるこの「挑戦(チャレンジ)」には、ドラマがいくつも生まれます。 勝者と敗者を分けるのは何か? 「汗(努力)」が鍵になるのは間違いないでしょう。 どこで、どれだけの「汗」を流すのかが勝負の分かれ目になっているのです。

合格体験記の「うそを見抜けるヤツ」と、「だまされるヤツ」

 合格体験記は、受験雑誌、予備校のパンフレットなどに記載されている「特有の記事」です。 体験記を書く人は、自分の価値を高める(あるはずのない素質をひらめかす)気持ちが一杯の人もよくあります。 自分がいかに勉強していないのに、最終コーナーでがんばって「ごぼう抜き」して合格したとの話が多い。 最終コーナー(3年生秋から受験までの時期)は受験生全体が必死になって勉強しています。 それを「ごぼう抜き」するのですから、本人の素質が高いからだと示しているのです。 地道な努力を長期にわたって積み重ねてきたと書けば、本人の素質の高さがなかったことになると思っているのです。

「勉強をしなかった」と「必死に勉強した」の相違点?

 一部の人は素質の高さで勝負できた人は必ずいます。 でも、それはごく少数(千にひとつもない!)の話であって普通のケースではないのです。 「勉強しなかった」、「必死に勉強した」の基準が違うのです。 ある人は、1日30分から1時間でも教科書を見たというだけで、昨日は「よく勉強した!」というのです。 日本にはこのような人(家で教科書をまったく見ないのが普通の人)が3割くらいはいるのです。

 本当に必死に勉強したという経験がある人は、「必死に勉強した」その限界を知っているのです。 平日の午後4時ごろから9時過ぎまで、休日なら朝9時から夜9時ごろまで「塾」で徹底的に絞られ、 帰宅後も塾の宿題をこなすため家庭教師にも絞られた小学生時代に経験した人もいるのです。 (筆者(志)は違いますが...) その人にとって「必死に勉強する」ということは、毎日3,4時間勉強する程度は「普通に勉強した」だけにしか思わないのです。

「不合格体験記」 を見かけないのは?

 奇麗事に尽きる「合格体験記」を本気で信じる人は、「お人好し」でしょうね。 合格した人は、自分の都合の良いように書けばよいのですから「合格体験記」の原稿は簡単に集まります。 でも、「不合格体験記」の原稿はそう簡単には集まりません。 自分の不徳(失敗)を人前にさらすことになるのですから、「不合格体験記」を書くには決意(勇気)がいるのです。 本当は、不合格者にとってもすごい利益につながるはずだし、受験生のためには良いのですが...。

「失敗」が 「成功の母」 である!

 なぜ不合格になったのか? その原因を分析すれば、現役生の意識を大きく変えることができるはずです。 大学や企業での研究活動でも同じです。学術研究や技術開発での失敗事例は大きな教訓を秘めているのですから。 「失敗学」の重要性が注目されています。 なぜ事故が起こったのか? そのトラブルの原因は? など、 事故の悲惨さだけに注目するだけでなく今後の事故を防止するために「失敗学」は有効なのです。

「再チャレンジ」が 叫ばれているが...

 現在、若者の一部に 「引きこもり」、「フリーター」、「ニート」 など、不愉快な単語が浴びせられている階層が出ています。 無視できる数でないほどの集団ですから、政府もそのまま見過ごすわけにもゆかず、いろいろな事業が税金を使って進められています。 「再チャレンジ」の政策もそのひとつですが、どちらかというと、彼らとは違う集団に向けた政策になってゆく恐れが多い。 積極的な行動をとるベンチャー経営者が事業を失敗し倒産しても、平然と 「再チャレンジ」 出来る援助の政策に変化して行くかもしれません。 将来の下層階級を構成すると言われている「引きこもり」、「フリーター」、「ニート」 などの人たちを下層に固定化する方向に向かってゆくようにも思えます。 「やる気のある人」には「再チャレンジを!」、「やる気のない(と思われる)人」には「自己責任を!」となれば、救いようのない社会になりそうなのです。 国際化(アメリカ化)を目指し、今までの規制を改革(自由競争化)する「政治の動き」がどんどん加速しているように見えるのです。 「再チャレンジ」と称する政策にすら、このような雰囲気が感じられるのですから、若者たちは早く気づくべきです。 政治キャンペーンの「美辞麗句(「美しい日本」もそのひとつ)」にだまされないためにも「自己責任」の恐ろしさを認識すべきでしょう。 筆者(志)は現世代の人間です。次世代を担う若者世代は自分で「その次世代」を作ってゆくしかないのですからね。

2006/09/22  管理人(志)


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