猿の惑星の女性科学者「ジーナ」は人間の真の能力を理解して人間に対する態度を変える。 また、禁断の地に人間の遺跡が存在し、猿以前に地球を支配していた歴史的な事実を知る。 猿の世界の支配層の考えに反対し、人間を助ける立場をとる。 映画の主題は、人間が自らの文明を失う事実に対する警告だが、人間が動物に対する態度への警鐘ともとれる。 シリーズの作品は後になるほど、映像技術は上がるのだが、内容はつまらなくなる。 シリーズ作品が陥る典型的なパターンをこの作品も繰り返しているのだ。
SF映画の名作には壮大なテーマが設定されている。 文明が進化するにつれて、文明のおごりが増し、「文明崩壊」に至るという代表的なものがある。 このテーマには、文明が生み出した「核兵器」による核戦争がある。 米ソの東西対決の時代には誰しも実感できるテーマであった。 この「猿の惑星」のシリーズもこの範疇に含まれる。
このテーマは近年のSF映画では見かけなくなっている。 ベルリンの壁崩壊に代表される社会主義各国の政治体制崩壊により、 このテーマは陳腐化してしまったのだ。
最近流行のテーマは「自然破壊」であろう。地球環境に対する危機感が将来に対する不安感を生み出す。 ハリウッドもここに目をつける。 SF映画のテーマも環境破壊から、大災害が起こるという設定とし、パニック映画風に仕立て上げるのだ。 最近作では、デイアフタートゥモローなどがある。
筆者(志)としてはこれら壮大なテーマより、もっと軽くて楽しいテーマが大好きだ。 いわゆる宇宙物だ。スターウォーズシリーズなど、重たいテーマではない、単純な宇宙活劇が楽しい。 何しろ宇宙人が悪で人間が正義と単純な設定で、映像技術を駆使した見事な映像も見れる。 映画を見た後の心理的な疲れも無い。何しろ、後味が良いのだから。