「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第75回  ペプシコーラのおまけ ハンドベルシリーズ より

ハンドベル 「ウッドストック」

 今回のハンドベルもペプシコーラダイエットの白バージョンのものです。 キャラクタは 「ウッドストック」 です。 ハンドベルの音は 「A」 です。 詳しくは、ピーナッツのサイト(http://www.snoopy.com/)をご覧ください。


管理人(志)が歩んだプログラミング街道

  「巨人IBM」 対 「国策大型計算機」の時代 

 今日は、管理人(志)のコンピュータプログラミング遍歴を紹介しましょう。 管理人(志)が大学に入学した当時は、コンピュータ(計算機)は特殊な専門家のみ使っている非常に高価な機械でした。、 プログラミングについても、わずかな人が選択する特殊な講座で開講されていただけでした。

 コンピュータは 「大型計算機」 と呼ばれていた時代でした。 当時、世界の大型計算機を支配していたアメリカのIBMが圧倒的に優位な時代でした。 日本の計算機メーカーが 「アリ」 すれば、IBMは 「ゾウ」 に例えることが出来るくらいの格差があったのです。 IBMの自由な活動を日本で許すと日本の計算機メーカーは全滅です。すでにヨーロッパではそのようになってしまった後でした。 通産省は日本の産業界を守るため、国策として国産大型計算機を育てる方針を立てました。 国立大学には国産計算機メーカーを割り当て、大型計算機を導入させた時代です。 東大が 「日立」、京大が 「富士通」、阪大が 「NEC」 というように割り当て制としたのです。 研究者は 「IBM」 を希望したかったのですが、予算が付くのは国産計算機だったのです。

 大型コンピュータ黎明期から初期段階については、 情報処理学会のWebサイトの 「コンピュータ博物館」 に詳しい資料があるので、 ぜひご覧ください。どのようにコンピュータが発展してきたかがわかりやすく書かれています。

コンピュータプログラミングを独学で始める

 筆者(志)がコンピュータプログラミングの自学自習を始めたのはそのような時代だったのです。 当時はコンピュータプログラミングの書籍は現在のようにはありませんでした。 筆者、図書館でプログラミングの入門書「FORTRAN入門(森口繁一著)」を見つけ、 これを独学で読破、習得したプログラミング言語が、科学技術向プログラミング言語 「FORTRAN」 だったのです。

 当時、書籍でプログラミングの学習をしても、プログラムを動かして確かめることが難しい時代です。 プログラムを自由に動かすことができるコンピュータ(大型計算機)がないからです。 学部に進学(大学3年生)以降したころから大学の大型コンピュータを利用することが出来るようになり、 大型計算機を実際に使ったプログラミング環境が整ったのです。 プログラミング技術を実践を通して磨いた時期でした。

 当時のプログラミング作業は、プログラムを紙テープ、パンチカードに穴を開けてプログラムを記述するものでした。 完成した紙テープやパンチカードを大型計算機センターに持ち込むのです。 しかし、すぐには結果は出ません。 2、3日後にプログラム実行結果をプリントした用紙が戻ってくるまで待たなければなりませんでした。

 プログラムにミスがあった場合、計算機センターから返されるプリントは数枚のみが帰ってきます。 プリントには「プログラムの何行目にエラーがありました!」というエラーメッセージが印刷されたものです。 プログラムのミスを修正して...と繰り返し作業が続きます。 そのたびに2、3日が経過してゆくのです。 大規模なプログラム作成の場合、プログラム全体からミスがなくなるまで1ヶ月以上かかることがあるほどです。

 また、パンチカードに記録できるプログラムは1行分だけです。 プログラム1行についてパンチカード1枚が必要となるのです。 大規模なプログラムになるとパンチカードが数千枚にもなるのです。 パンチカードを重ねて積み上げると30cm程の高さになるのです。 プログラムを計算センターに崩さずに運ぶだけでも大変でした。 運ぶ途中で落としてしまうとプログラムの各行がばらばらになり、元通りにそろえるだけでも何時間もかかるのです。


名著 「ソフトウエア作法」 に出会い、限界を突破

 独学ですから、プログラミングの技術は、「乱暴」、「強引」なもので、洗練された技術ではありません。 そのようなレベルのプログラミング技術では小さなプログラム(数100行程度)は簡単に作成できるのですが、 大規模なプログラム(数1000行レベル以上)を作る段階になると破綻してしまうことになります。 自分自身のプログラミング能力に限界を感じるようになった時期でした。

 そのころに出会った書籍が 「ソフトウエア作法」(共立出版)でした。 この本は、C言語を作った、カーニハンとプローガの共著によるもので、非常に古い書籍ですが、プログラミングの精神を説く名著です。 「目から鱗(うろこ)」 とはこのことと思える程のショックを受けた名著でした。 書籍で扱っているのは IBMが開発した汎用言語 「PL/I」 でかかれていたのですが、一気に読破してしまいました。 名著が伝えるのプログラミングの精神をもとに、大規模なプログラムを作成できる環境を得て プログラミング能力を高めることができたのです。 プログラミングの技術で大切なことは 「プログラミング言語を覚えることではないのだ」 と知ったことで、 いろいろな書籍を次々と読んだ時期でもありました。


プログラミング言語 「PASCAL」 に出会う

 プログラミングの基本は 「アルゴリズム」 と 「構造化」 だというプログラミング理論に出会い、 「構造化」 という言葉を見つければ、その本を読破するという程に感銘を受けた時期でもありました。  プその時期に覚えたプログラミング言語が 「PASCAL」 でした。 「FORTRAN」 と比較すると 「PASCAL」 の言語は完成度が非常に高く洗練されたものでした。 このときの 「PASCAL」 修得は、その後のパソコン黎明期でのプログラミング言語 「Turbo Pascal」 や、 現在での愛用プログラミング言語 「Delphi」 にも大変役立つことになったのです。

 大学院博士課程のころに、パソコン黎明期が訪れたのです。 インテル社が電卓用のコンピュータとして日本のビジコン社の依頼を受け製作したのが、世界初の4ビットマイコン 「4004」 でした。 パソコン黎明期のお話は次の機会に紹介しましょう。

2004/11/18  管理人(志)


感想・意見、投稿(文章、写真とも)は メールでどうぞ

   → サイトトップへ  へ


このホームページは、2003/11/07 に始まりました。