「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第83回  ペプシコーラのおまけ ボトルキャップシリーズ より

Mr.インクレディブル 「Violet」

 今回もMr.インクレディブルからのボトルキャップです。 ペプシコーラのほうについているもうひとつの12種類のうちの 「Violet」 とあります。 普通のときは迫力のないキャラクタですが、スーパースーツを着たときにはさすがに強そうに見えます。

ゆとり教育による 「学力低下問題」 と 「大学入試改革」 の絡みで
      新課程世代はどうなるのだろうか?

 先日、京都大学が全学部の入試で、前期入試一本に絞り、後期入試は行わないと発表した。 現在は、前期・後期入試の2本立てで行われているのだが、敗者復活戦のような後期入試の存在価値がないとの判断。 事実、受験生として2度チャンスがあるように見えるが、前期入試の合格定員が少なくなっているので、2度のチャンスとは言いがたい。 このような事情もあるための制度変更だから、当然ながら、有力大学はこれに続いてゆくことになりそうだ。 結局は、大昔の制度 「一期校」、「二期校」に戻って行く 「先祖がえり」 になります。 いわゆる、 「一期校」、「二期校」 は団塊の世代が経てきた 「受験地獄」 といわれてきた時代です。

高校で習ったことだけが入試に出る時代は終わっているのだ!

 京都大学は既に高校の教育課程を超える範囲を含めて、入学後に必要となる学力を求める入試問題を作ると宣言しています。 大学での教育に耐えうる基礎力を備えている人が合格にふさわしい志願者との判断で、 事情を知らない(?)文部科学省が勝手に(?)決めた 「ゆとり教育」 の範囲に縛られる必要はないとのこと。 「入学したければ、入学後の教育に耐えうる勉強をしてきなさい」 と、京都大学が投げる球は 「直球」 そのものです。

 社会では、このようなことは当たり前です。自動車を運転したければ、「中学校や高校では習わない」 自動車の運転技術、道路交通法を勉強するのです。 そうしなければ運転免許はもらえません。世の中すべてそうなのですから。 本来「高校での教育」 は大学受験のための勉強をするところではありません(一部の人が大学進学するだけ)。 教科書で習うのはその人たちを含めた「社会で必要となる知識」を得るためなのです。 より高度な教育を受ける「大学進学者」 は、それにふさわしい勉強をするべきなのです。運転免許が欲しいときと同じです。 大学入試だけが例外ではありえないのです。

 京都大学が堂々と宣言したことがニュースになる(大学入試が高校教育にとらわれすぎてきた裏返し)のですから、 高校入試ではもっとそのような考え 「馬鹿げた論理」 がはびこり続けています。 中学校で習った範囲から出題しなければならないとの強い縛りが残っているのです。 旧来の日本にはびこってきたあの考えが残っているのです。 国際化の時代に取り残されたその考え方が、初等中等教育界には根強く残っているのです。

ハングリー精神で自分の将来を勝ち取る気概がなくなった? そんなはずはない!

 高校入試をそのようにすると、塾に行けない中学生はどうする? との声が聞こえてきますが...。

 そうだからどうなのでしょうか? 現在の制度であれば、その人たちは救われているのでしょうか? そんなはずはありません。そのような人たちが救われて有名高校に入学できているのでしょうか? 有名国立大学に合格しているのでしょうか。有名大学(東大など)の合格者の多くが中高一貫教育の私立の卒業生が占めています。 土曜日に授業をさせない公立、土曜日を含めて制限無しの私立など多くの制度的な違いがあるのですが、それだけが原因ではありません。 公立中学の入学と比べて、私立中学の入学は大変です。私立の中学・高校入試が教科書だけの勉強で合格できると思っている人はいないしょう。 大学受験で勉強している3年生であっても、私立中学受験を目指す小学校6年生以上に勉強している人は非常に少ないでしょう。 殆どの人はその小学生より勉強時間は少ないでしょう(筆者は、大学、大学院のとき私立中学受験生の家庭教師をしていたので良く知っています)。 高校入試も同じことです。 結局は、個人の努力の積み重ねの差で決まってくるのです。 国際的にもそのようなことは見られます。日本と東南アジアの国々がそのような関係になっています。

「国際化といいながら、国内基準ばかり」 これでは日本の将来はない!

 中国、韓国、台湾、シンガポールなど、アジアの新興勢力の若者たちは大変がんばっています。 これから国が発展してゆこうという時期ですから当然です。 かつての日本の1960年から70年代と状況が同じです。国民全員が日本の将来に夢を描いてがんばっていました。 そのような国が大きく成長している時期(経済の高度成長期といいます)を東南アジアの新興勢力が歩んでいるのです。

 新聞の特集記事に、大学の教授の話として次のようなものがありました。 「アメリカの有名大学の大学院に学生を推薦しても、落とされてしまうのです。中国の優秀な学生のほうをとってしまうからです。」 残念ながら日本の現状を表している言葉です。大学、大学院のレベルダウンがひどいようです。 現在の大学院のレベルが昔の学部のレベル、現在の学部のレベルはかつての高校レベルとまで言われているのです。

日本の将来に危機感を持ち始めた産業界  〜 人材も完全市場原理化するのだろうか 〜

 ゆとり教育の弊害をしぶしぶ認めた「文部科学省」も、現在の教育課程で示されたものは 「教育内容の最低限を定めたもの」 との大臣の発言から方向転換への兆しが見えてきました。 産業界の方がもっと危機感を持っています。国際的な産業競争力を維持するため、 少数でも良いから国際的に通用する技術者、研究者を育ててくれという強い要請をしています。

 産業界で必要な研究・開発者は少数精鋭であればよいのです。高校教育の平均レベルには殆ど関係しません。 産業界が必要とする少数精鋭を国内で養成出来なければ、アメリカ産業界がとってきた方針(優秀な外国人に頼ること)しか残りません。 そのときは産業界は冷酷に判断するしかなくなるのです。国粋主義でも、愛国主義でもありません。利潤至上主義なのですから。

 団塊の世代が大量退職する数年先、エンジニアの大幅な不足がささやかれています。 デジタル家電、携帯電話などをたくみに利用している若者たちに、利用するだけでなく、 それらを作り上げるシステム技術(製造と運用)をどこまで支えることが出来るか、新しい技術を生み出し、発展させてゆくことが出来るか、 そのことに日本の将来全てがかかっているのですから。

2005/03/05  管理人(志)


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