「物理の小道」 ギャラリー

おまけグッズ編  くだらないと言えばくだらないものですが

第91回  ペットボトルキャップ ペプシコーラのおまけ

 「FROZONE」 + 筆者(志)の青春時代 @

 今回のキャラクタは半身像のものです。詳しいことは分かりませんので、おまけについては説明できません。

3月21日は、兵庫県立高等学校の合格発表日

 春をうかがわせる暖かい晴天のもと、2005年度の合格発表が10:00より行われた。 倍率が1.18倍だから、不合格の受験生も例年より多い。 いつもの合格発表の風景がグランドの部室棟前で繰り広げられた。 万歳の大声で喜び合う生徒がいる影で、静かに首をうなだれて去り行く生徒がいる、いつもの風景だ。 人生の関門として皆が通り抜ける一つのシーンである高校入試の合格発表はだれでも思い出すシーンの1つのようだ。

 大学入試も同様の関門になるのだが、人生経験を経て試練に耐える力をつけた年頃なので 高校入試の合格発表ほどに印象が残っていないのも事実だろう。 また、不合格となることに対する 「不安」 は大学受験の場合は、高校受験に比べ非常に小さい。 合格する人より不合格となる人の数の方が圧倒的に多いこと、 「大学受験浪人」 に対する対応が社会に備わっているが 「中学校浪人」 にはこれがないこと、などであろう。 なお、人生経験を経て試練に耐える力とは、「何度も模擬試験を受けて、自分の力を思い知らされる」 過程で培われたものだ。

筆者(志)の高校受験では

 筆者の青春時代は競争ばかりの時代でした。 中学校までは地元の公立(幼稚園、小学校、中学校)だったので受験の関門はなく、平穏な時期を過ごしてきた。 高校受験からは皆と同じように人生の試練を通り抜けてきた。 戦後すぐのベビーブームにより世代人口が急増した 「団塊の世代」 に属する筆者(志)だから、 激烈な競争となるのは当然だったのだ。 高校受験のときの競争率は8倍で、このときが人生最大競争率だった(大学受験はたったの5倍の倍率)。 出身中学校からの受験者は自分一人だけで、周りには知る人はまったくない。 試験問題は、教科書とはかけ離れたレベルの問題。 8人に1人だけ合格するのだから、合格発表は飛び番号ばかりで連続番号がほとんどない掲示板だった。

大学に行くには、「現役、自宅通学、国立、理系」が条件

 筆者(志)の家の教育方針は、今では想像できない厳しいものだった。 4人兄弟の我が家では、親の責任で高校までは進学させる機会を与える(ただし、公立に限る)。 しかし、大学は自分に力があれば(担任の先生が勧める場合)、大学受験の機会を与えるというものだ。 条件をまとめると、「国・公立で自宅から通える大学に、かつ現役合格のみ」 という条件だ。 自分の希望 「理系」 を加えたものになる。 当時は、大学進学率がそれほど高くない時代で、高卒での就職も普通のことであった。 このような条件の家があっても不思議ではないのだった。

夢が膨らむ高校時代

 高校も公立に限るとの条件だから、地元の県立高校に行くことが当然だった。 国立なら公立の一つだからと、中学校の担任の先生が親を説得してくれた。 そのため、大阪学芸大学附属高校(池田校舎)受験が実現したのだ(現在、大阪教育大学に改名)。  高校に進学して知ったことは、中学校のときとは異なる同級生の存在であった。 1学年が3クラス(1クラス55人)の小さな規模の高校だが、生徒は例外なく全員が大学進学を目指していた。 筆者が住んでいた地元(尼崎市)では、中卒で就職する生徒も相当いたし、高卒で就職するのは普通だった。 大学に進学するには、「家の教育方針」 を満たす以外にないのだった(現役&自宅から通える&国立大学&理系)。

高校での授業は 「ビックリするほど速かった!」

 英語の授業は、教科書数ページが50分間の1、2回の授業で終わってしまうのだった。テキスト全文の説明、日本語訳はなく、 どんどん先に進んでゆくのだった。 しかも、授業中に当てられ、答えられなかったときは 「立っとれ!」 との一言で、授業中立ちっぱなしとなることもよくあった (現在では体罰と認定されるようだが)。 また、1週間の英語の授業の内、相当時間はレベルの高いテキスト(サイドリーダー)だった。 大学進学して知ったことは、「大学の授業が高校の授業よりはるかに楽」 だったことだ。

 数学の授業も同様で、「単元の説明は教科書を読めば分かるでしょう」 とすぐに問題演習になることが多かった。 事実、教科書、チャート(当時も既にあった)などの参考書を読めば、先生の説明を聞くまでもない。 教科書、参考書を読めば、自分でどんどん進めてゆけることに気付いたのだった。

「勉強は自分でやるもの」 と気付く

 自分でやるしかないと気がつかされた高校時代(このことは大学でもっと重要となる)。 英語のペーパーバック(文庫本)を読むと良いとの先生の助言があった。 1年生の夏過ぎから、大阪駅前の旭屋書店(阪神百貨店裏にあった)に出入りし、 洋書売り場を探検することから、最初のころは、非英語圏の外国人向けの洋書(単語数1000語、2000語レベルなどと指定)を読んでいたが、 内容が面白くない。 そこで、ペンギン、ペリカンなどと呼ばれていた文庫本(洋書)に手を伸ばした。 最初の洋書は 「Animal Farm」 というSF(空想科学小説)だった。 当時、日本語訳が出ていないSFで、苦労したが面白く読みきったことを思い出す。 読み始めたとき、1ページに3、40語の単語を辞書引きするのに耐え、苦しみながらも読み続けた結果、 後半部分を読む頃には1ページの辞書引きは数語程度になっていたのだった。 今考えると当時は随分背伸びしていたようだが。 自分の英語力がついてきた実感を感じることができた。 最初の1冊目を読破するのは相当な根性が必須。 何度もくじけそうになるのを乗り越え、半分を読みきったあたりから楽しくなってくるのだ。

 合格発表の話題から随分脱線状態になってしまったが、皆さんの参考になれば幸いです。


2005/03/22  管理人(志)


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